数学の思考プロセスは①問題を数理的にとらえる。②問題を数学化する。③数学化された問題を解くことと説明されています。教室では計算力よりも数理的に捉える能力アップを目指しています。
「数理」とは事象の中に数学的な概念を見出し、それを数学的な考察や処理の対象にすることです。「1こ5円のアメを4こ買った時の代金」という事象場合、数理的にとらえるために頭に浮かんでいることを絵にします。絵によって生徒の捉え方、数理化の思考プロセスを講師も共有できます。
しかし、これが最も難しいです。なぜ掛け算なの、割り算なのと考えこむのは数理化の段階の問題です。だから問題の数・量・ 図形に着目してじっくり考察してもらいます。
次に数学化するとは数式としてモデル化することで、「代金=5円×4個」となります。あとは計算するだけ。ここは皆、お得意です。
社会の事象を数学の事象に置き換えて数理化、数学化のプロセスで困難な問題も解決することができます。未来の社会はAI技術が発展すると予測されてます。AIは計算だけでなく考える分野にも広がるでしょう。
人を共感されるにはコンセプチャルスキル(概念化能力)がとても大事だと思います。この分野は心をもった人間の分野ではないでしょうか。
寒風吹きすさぶ中、今年も早12月になったなあ。
「光陰矢の如し」だね。
時間は誰に対しても等しく、待ってくれないもんだね。
時間をどう使うかは個人の判断に委ねられています。ワークサンプリングという手法があります。工場などで稼働分析を行うときに利用しました。
学生だって自分に与えられた時間を何に割り当てているか調べることにも利用できると思います。多くの時間をかけているところの自分の心があることが客観的にわかります。
今、最も準備しなければならないことはなにか、どれだけ時間をかけているかを知ることは重要です。
なぜなら思いと行動にはギャップがるあるからです。受験日に向けて誰もが準備しています。残された時間は一緒、どれだけ準備に割くか、それが自由意思です。
教室の講師陣は自分の経験も踏まえて、生徒に備えと自信を与えようと待ってます。
記憶してと言われれば一語一句を覚えようとする。興味がないことは覚えられないし、つまらないと思うことはたいした意味はない。でも内容やテーマの世界に「入り込む」と意外に覚えられます。「本能寺の変」なら、自分が明智光秀になりきって教科書を読むと、光秀の心の中に立ち入って不思議なことにその記憶は忘れることが少ない。これを「自分事化」で「エピソード記憶(出来事記憶)」と呼ばれています。
だれでも教科書の内容は忘れても、よく遊んだゲームのキャラクター名や設定、繰り返し読んだ漫画の世界観とストーリーなど、自分の身に起こった出来事として感情をともなって覚えたものはなかなか忘れません。それと同じ記憶の仕組みを、教科書を読むときにも使いましょう。書かれている人や物の気持ちになり、その世界に入り込んで疑似体験するように読むクセをつけると、むしろ忘れるのが難しくなるくらいになるかもね。
今朝、なにげにテレビをつけました。京セラの稲盛さんがインタビューを受けていました。テレビ版「私の履歴書」と思える番組でした。
稲盛さんの人となりがよくわかりました。あらためて良い経営者だと思いました。一番心に残った言葉は人の可能性についてでした。彼は「考え方」×「熱意」×「能力」の積で表すのが良いと考えていました。それは「能力」がすべてではないということ。有名大学を卒業した賢い人はいるでしょう。0~100の範囲なら、90ぐらいかもしれない。稲盛さんは自分は60だと言いました。「熱意」が90あれば能力をカバーできるはず。熱意は激しい頑張りだと言いました。
一番大きい要素は「考え方」だと言います。これはー100~100の範囲になる。利己的に行動すれば優れた能力を悪しき物に注ぐなら、総合力は「マイナス」になりうると説明された。
彼の考えの底には利己と利他の考えがあった。為そうと考えていることは善であるかそこに利己はないかと自問されていました。資本主義は人道的要素が不可欠。個人的になれば資本主義は成り立たなくなると感じました。
生徒の希望を叶えるための活動が教室の成長につながる利他の精神が必要だと暮れにあたって考えさせられました。