城南コベッツ横浜六浦教室

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2024.03.25

庚申待(こうしんまち)とは、日本の民間信仰で、庚申の日に神仏を祀って徹夜をする行事です。
庚申(かのえさる)の日は、60日に一回巡ってきます。庚申(かのえさる/こうしん)とは、
干支(えと)、十干・十二支の60通りある組み合わせのうちの一つで、57番目にあたります。

三尸説とは人間の体内には三尸(さんし)という三匹の虫がいて、1年に6度ある庚申の夜に
人が眠っている隙をついて三尸の虫が体内から抜け出し、その人間の罪や悪事を天帝
(天上の最高神、神様)に告げ口をします。そのために人間は早死にすると考えられていました。
庚申の夜に寝なければ、三尸は体内から出ることができません。
庚申の日に徹夜すれば、早死にを免れて長生きができるとされていたのです。

令和6年の庚申(かのえさる/こうしん)の日は、2月26日(月)、4月26日(金)、6月25日(火)、
8月24日(土)、10月23日(水)、12月22日(日)、の6回です。

清少納言の「枕草子」、第99段「五月の御精進(さつきのみそうじ)のほど」にも
庚申待の夜の様子が描かれています

夜うちふくる程に、題出して、女房にも歌よませ給ふ。みなけしきばみ、ゆるがしだすに、
宮の御前近くさぶらひて、もの啓しなど、こと事をのみいふを、大臣(おとど)御覧じて、
「など、歌はよまで、むげに離れゐたる。題取れ」とて賜ふを、
「さる事うけたまはりて、歌よみ侍るまじうなりて侍れば、思ひかけ侍らず」と申す。
「ことやうなる事。まことにさることやは侍る。などか、さはゆるさせ給ふ。
いとあるまじきことなり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」など、責め給へど、
けぎよう聞き入れでさぶらふに、みな人々よみいだして、よしあしなど定めらるる程に、
いささかなる御文を書きて、投げ賜はせたり。見れば、

 元輔が後と言はるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる

とあるを見るに、をかしきことぞたぐひなきや。
いみじうわらへば、「何事ぞ、何事ぞ」と大臣も問ひ給ふ。
 
「その人の後と言はれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし
つつむことさぶらはずは、千の歌なりと、これよりなむいでまうで来まし」と啓しつ。

【現代語訳/抜粋】5月の庚申の夜が更ける頃、藤原伊周が女房たちに歌を詠ませた。
清少納言は中宮・藤原定子から「詠まなくてよい」という許可を受けていたのだという。
この歌会で定子から清少納言に贈られた歌が
「元輔が 後といはるる 君しもや 今宵の歌に はづれてはをる」
(有名な歌人・清原元輔の娘のあなたなのに、今宵の歌会には参加しないのね)
清少納言は、
「元輔の娘といわれない身であれば、まっさきに詠みます。父の名誉に遠慮する事情が
なければ、詠めと言われなくても千首もの歌が口から出てくるでしょう」と申し上げたのだとか。

2024.03.20

君やこむ 我やゆかむの いさよひに 真木の板戸も ささず寝にけり
古今和歌集 巻十四 恋歌四(詠み人知らず)

いさよひ・・・「いさよひ」は「ためらい」の意味、「十六夜(いさよひ)」との掛詞
真木の板戸・・・スギやヒノキで作られた戸
板戸もささず・・・板戸も閉めず

あなたが来るのか、わたしが行くのかとためらっているうちに、
十六夜の今夜は真木の板戸も閉めずに眠ってしまった

2024.03.19

日本銀行は、きょう(3/19)まで開かれた金融政策を決める会合で、マイナス金利政策を
解除するなど大規模な金融緩和策の見直しを決定しました。

日銀はこれまでイールドカーブ・コントロール(YCC)と呼ばれる長短金利操作、
具体的には、①短期金利をマイナス0.1%、②長期金利をゼロ%程度に誘導することを
柱とする金融緩和策を行ってきましたが、長期金利の誘導目標を撤廃します。
短期金利については今後、代表的な指標である、「無担保コール翌日物」の金利を
0%~0.1%程度で推移するよう促します。短期金利の引き上げは2007年以来、17年ぶりです。

見直しの理由について日本銀行は「賃金と物価の好循環の強まりが確認されてきており、
2%の物価安定目標が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断。
マイナス金利政策やイールドカーブコントロールなどの大規模な金融緩和は、
その役割を果たしたと考えている」と説明しています。
日本銀行は、現時点の経済・物価見通しを前提にすれば、当面緩和的な金融環境が
継続すると考えているとしています。
今回、マイナス金利解除にあたって賃上げ状況を注視するとしてきた日本銀行の背中を
強く押したのが、先週金曜日に連合が発表した春闘の「賃上げ率」です。

※マイナス金利政策 民間の金融機関が日本銀行に預ける当座預金の一部の金利を
マイナスにする政策で、2016年2月に導入しました。金融機関は余ったお金を
日本銀行に預けると金利を払わなければならず、企業や個人への貸し出しを促して
景気を刺激する効果を狙ったものです。日本銀行はマイナス0.1%の金利を適用しました
欧州中央銀行(ECB)やスイス国立銀行も導入しましたが、2022年までに解除し、
主要中央銀行では日本銀行だけとなっていました。

ゼロ金利政策やマイナス金利政策など25年以上も続いた「金利のない世界」から
「金利のある世界」への大きな転換点となります。時代が変わるターニングポイントに
直面しています。景気、為替、そして私たちのくらしが大きく変わることになります。

2024.03.18

花山天皇が藤原兼家の策謀により退位され、わずか7歳の一条天皇
(円融上皇と兼家の娘・詮子(あきこ)との子)が即位されます(986年)
この即位により、藤原詮子は国母(こくも/こくぼ)となりました。

前の一条院の御即位の日、大極殿の御装束とて人々集まりたるに、高御座のうちに、
髪つきたるものの頭の、血うちつきたるを見つけたりける。

いと眠たげなる御気色にもてなさせ給ひて、ものも仰せられねば、もし聞こし召さぬにやとて、
また御気色たまはれど、うち眠らせ給ひて、なほ御いらへなし。
(『大鏡』「道長(雑々物語)」)

一条天皇の即位式の日、即位式の準備を進めていた担当官は、
高御座(たかみくら)に髪の付いた生首を発見しました。
高御座とは即位・朝賀などの朝廷儀式が催される際に大極殿の
中央に設けられた天皇の座のことです。
高御座は神聖な場所です。しかも、当時の人々は「死」を穢れと考え、
忌み嫌っていました。担当官は大変なことになったと、すぐに兼家の元に向かいます。
担当官は兼家の元に行くと、大きな声で生首の一件を報告しました。
しかし、兼家は眠たいのか、返事すらしません。担当官はおかしいと思いながらも、
しばらく立っていたが、やがて兼家は目を覚ましたかのように、即位式の準備が
終わったのかを尋ねられました。生首の一件に関しては、何も聞きませんでした。
兼家は生首の一件を知り、心中では驚いたと考えらますが、即位式を中止する考えは
ありませんでした。敢えてとぼけたふりをしたのです。
その後、生首が片づけられ、一条天皇の即位式は何事もなく挙行されました。
反兼家の何者か(花山院の関係者)が生首を高御座に置いたのでしょうが、
その目論見は失敗したのです。

2024.03.11

寛和元年(985年)7月18日、花山天皇(第65代天皇)が寵愛していた
女御の藤原忯子(ふじわらのよしこ/しし)が十七歳で死去しました。
悲嘆に暮れた花山天皇は出家を考えるようになりました。
蔵人として仕えていた藤原道兼(藤原兼家の三男)は、自身も出家すると
天皇を唆し、花山天皇はついに出家を決断しました。

寛和ニ年(986年)6月23日、花山天皇はひそかに清涼殿(=天皇の御殿)を出て、
京都東山の元慶寺(がんぎょうじ/がんけいじ)に入り、出家入道します。
しかし、出家を誘った道兼はそのまま姿を消してしまいます。

藤原兼家は、子の道隆や道綱に命じて三種の神器(※八咫鏡(やたのかがみ)、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま))を
皇太子の居所に移し、内裏諸門を封鎖しました。

花山天皇の出家により、皇太子の懐仁(やすひと)親王(円融天皇の第一子)が
即位して一条天皇となりました。数え年で七歳だったので、外祖父の藤原兼家が
摂政として政治の主導権を握ることになりました。この出家騒動は、懐仁親王を
いち早く皇位につけるために、藤原兼家が仕組んだ謀略とも言われています。