城南コベッツ横浜六浦教室

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横浜六浦教室のメッセージ

承久の乱~「乱」と「変」の違い

2022.12.13

「承久の乱」は、日本史上初の朝廷と武家政権の間で起きた武力による争いです。
「承久(じょうきゅう/しょうきゅう)」という元号は、実は約3年しか使われてません。
「承久」は西暦1219年から1222年が該当します。今から約800年前のことになります。

建保7年(1219年)1月27日 三代将軍源実朝が、鶴岡八幡宮で甥の公暁に殺害される
承久元年(1219年)4月12日 「承久」に改元、旱魃と三合によるとされる(百錬抄)
6月3日 摂関家・九条道家の三男三寅(=みとら)が、幕府の要請で鎌倉に下向する
承久2年(1220年) 天台座主の慈円(九条兼実の弟)が歴史書「愚管抄」を著す
承久3年(1221年)4月20日 順徳天皇譲位、仲恭天皇即位
5月15日 後鳥羽上皇が伊賀光季を討ち、北条義時追討の院宣を下す
=承久の乱(=じょうきゅうのらん)
5月19日 北条政子が御家人の結束を求める演説をし、遠江以東の諸国に動員令を発す
6月15日 幕府軍19万騎が入京したため、後鳥羽上皇が義時追討の院宣を撤回する
6月16日 北条泰時・時房が、朝廷監視・京都保護のため六波羅に常駐する
=六波羅探題(=ろくはらたんだい)の始まり
7月9日 仲恭天皇が退位、茂仁(=とよひと)親王が践祚(=せんそ)
7月13日 後鳥羽上皇を隠岐に流す
7月21日 順徳上皇を佐渡に流す
12月1日 茂仁親王が後堀河天皇として即位
承久4年(=1222年)4月13日 「貞応(=じょうおう)」に改元・代始の改元

日本史の勉強で紛らわしいのが「○○の乱」「○○の変」という表現です。
意味の違いもさっぱり分からず、困ってしまった人は少なくないはず。
※「承久の乱」も、「承久の変」または第三者の視点で「承久合戦」とも言われます。

「乱」(1)政治権力に対する武力による反抗、すなわち反逆事件
   (2)政治権力の収奪による内乱状態
「変」(3)天皇あるいは将軍などが配流などに遭い、不当な立場に置かれた事件
   (4)政治上の対立による陰謀事件

成功したら体制のどんでん返しが起きる可能性があったものが「乱」、
成功しても結局同じような体制が続いた可能性が高いものが「変」と言えます。