城南コベッツ横浜六浦教室

Tel:045-370-7986

  • 〒236-0031 神奈川県横浜市金沢区六浦1丁目12-21 ベラカーサ 2階A
  • 京急金沢八景駅 徒歩10分

受付時間:15:30~20:00/日祝休

  • 1対1個別指導
  • 1対2個別指導
  • ジュニア個別指導

2024.03.18

花山天皇が藤原兼家の策謀により退位され、わずか7歳の一条天皇
(円融上皇と兼家の娘・詮子(あきこ)との子)が即位されます(986年)
この即位により、藤原詮子は国母(こくも/こくぼ)となりました。

前の一条院の御即位の日、大極殿の御装束とて人々集まりたるに、高御座のうちに、
髪つきたるものの頭の、血うちつきたるを見つけたりける。

いと眠たげなる御気色にもてなさせ給ひて、ものも仰せられねば、もし聞こし召さぬにやとて、
また御気色たまはれど、うち眠らせ給ひて、なほ御いらへなし。
(『大鏡』「道長(雑々物語)」)

一条天皇の即位式の日、即位式の準備を進めていた担当官は、
高御座(たかみくら)に髪の付いた生首を発見しました。
高御座とは即位・朝賀などの朝廷儀式が催される際に大極殿の
中央に設けられた天皇の座のことです。
高御座は神聖な場所です。しかも、当時の人々は「死」を穢れと考え、
忌み嫌っていました。担当官は大変なことになったと、すぐに兼家の元に向かいます。
担当官は兼家の元に行くと、大きな声で生首の一件を報告しました。
しかし、兼家は眠たいのか、返事すらしません。担当官はおかしいと思いながらも、
しばらく立っていたが、やがて兼家は目を覚ましたかのように、即位式の準備が
終わったのかを尋ねられました。生首の一件に関しては、何も聞きませんでした。
兼家は生首の一件を知り、心中では驚いたと考えらますが、即位式を中止する考えは
ありませんでした。敢えてとぼけたふりをしたのです。
その後、生首が片づけられ、一条天皇の即位式は何事もなく挙行されました。
反兼家の何者か(花山院の関係者)が生首を高御座に置いたのでしょうが、
その目論見は失敗したのです。

2024.03.11

寛和元年(985年)7月18日、花山天皇(第65代天皇)が寵愛していた
女御の藤原忯子(ふじわらのよしこ/しし)が十七歳で死去しました。
悲嘆に暮れた花山天皇は出家を考えるようになりました。
蔵人として仕えていた藤原道兼(藤原兼家の三男)は、自身も出家すると
天皇を唆し、花山天皇はついに出家を決断しました。

寛和ニ年(986年)6月23日、花山天皇はひそかに清涼殿(=天皇の御殿)を出て、
京都東山の元慶寺(がんぎょうじ/がんけいじ)に入り、出家入道します。
しかし、出家を誘った道兼はそのまま姿を消してしまいます。

藤原兼家は、子の道隆や道綱に命じて三種の神器(※八咫鏡(やたのかがみ)、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま))を
皇太子の居所に移し、内裏諸門を封鎖しました。

花山天皇の出家により、皇太子の懐仁(やすひと)親王(円融天皇の第一子)が
即位して一条天皇となりました。数え年で七歳だったので、外祖父の藤原兼家が
摂政として政治の主導権を握ることになりました。この出家騒動は、懐仁親王を
いち早く皇位につけるために、藤原兼家が仕組んだ謀略とも言われています。

2024.03.09

国民の三大義務とは、日本国憲法に定められた「教育の義務(26条2項)」
「勤労の義務(27条1項)」「納税の義務(30条)」の3つです。
中学校の公民でも学習します。

「教育」および「勤労」については、「義務」とともに「権利」も規定されています。
ところが、この「納税」だけは「義務」しか規定されていません。

では「納税」をしないと、どうなるのでしょうか?
税金を滞納すると、法律にしたがってその税金の未納に対する処分が行われます。
課税された税金を、「後から納めなくていいことにしてくれる」という制度はありません。
所得税は申告納税ですが、この申告納税制度をきちんと機能させるために、
脱税なども厳しくチェックされることになります。

加算税とは、正しく申告・納税をしなかったものに課される罰金のようなものです。
加算税には「無申告加算税」「過少申告加算税」「不納付加算税」「重加算税」の4種類があります。

無申告加算税 法定納期限までに納税しなかった場合に課される
過少申告加算税 法定納期限までに納税した額が本来の納税額より少なかった場合に課される
不納付加算税 源泉徴収等による国税を法定納期限までに納付しなかった場合に課される
重加算税 申告・納税で仮装や隠ぺいがあり悪質な場合に課される

また加算税だけでなく、法定納期限までに納付しなかった場合には延滞税も課されます。
延滞税は、納税が遅れたことに対する利息として課される罰金です。

「納税するつもりはございません」は、通用しないのです。

2024.03.07

句読点とは、文章を区切る際に使用される「、」や「。」のことで、
文章を区切るために文の末尾に使われる「。」を句点(くてん)、
文章を読みやすくするために文中に打つ「、」を読点(とうてん)と呼びます
ちなみに、句点に書き順が存在しているのをご存じですか?
小学生の「こくご」の教科書では、下から時計回りに一回転するのが正しい書き方ですが、
決められた書き方なのか、はっきりした根拠はありません

文末が句点「。」で終わるメッセージを受け取ると威圧されたように感じるというのが
「マルハラスメント(マルハラ)」です
マルハラは、LINEなどのやりとりで、文末の句点を威圧によるハラスメントと感じるというのです

「○○しておいて!」は期待されているように思えるが、
「○○しておいて。」だと突き放されているように感じる

句点「。」は感嘆符「!」より「威圧的」「冷淡」「怖い」といった
ネガティブな印象を感じるというのですが(あえて「。」はつけません)

2024.03.05

鳥辺野(=とりべの)は、京都市の一地域を指す地域名です。平安時代以来、葬送の地として
『源氏物語』や『徒然草』に登場し、藤原道長も同地で荼毘に付されたといいます。
「東の鳥辺野(とりべの)」「西の化野(あだしの)」「北の蓮台野(れんだいや)」が
平安京の三大風葬地です。風葬地とは遺体が捨てられて、野ざらしにされていた所です。

源氏物語第四帖「夕顔」より

御心地かきくらし、いみじく堪へがたければ、かくあやしき道に出で立ちても、
危かりし物懲りに、いかにせむと思しわづらへど、なほ悲しさのやる方なく、
「ただ今の骸を見では、またいつの世にかありし容貌をも見む」と、思し念じて、
例の大夫、随身を具して出で給ふ。
道遠くおぼゆ。十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆の火もほのかなるに、
鳥辺野の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも、何ともおぼえ給はず、
かき乱る心地し給ひて、おはし着きぬ。

現代語訳:まだ気分も悪く、気持ちも沈んでいるせいで、また昨夜の物の怪に
襲われるのではないか、引き返したほうがいいのではないか、と光君は迷う。
けれども悲しみは紛らわしようがなく、最期の亡骸を見ないことには、
いつの世で女の顔を見ることができようかと、随身を伴って惟光とでかけた。
道は果てしなく遠く思えた。十七日の月が上り、加茂河原のあたりにさしかかると、
先払いの者が持つ松明の明かりもほのかで、火葬場のある鳥辺野が
ぼんやりみえるのはいかにも薄気味悪いが、光君はもうこわいとは思うこともない。
気分のすぐれないまま、山寺に着いた。

参考文献:河出文庫古典新訳コレクション 源氏物語1 角田光代 訳