笹原駅前教室のメッセージ
安倍晋三元首相狙撃事件と日本の歴史を振り返る(城南コベッツ笹原駅前教室:福岡市南区井尻)
2022.08.01
こんにちは、教室長の木村です。
先月、7月8日(金曜日)に、安倍晋三元首相が参院選の応援演説中に奈良市の近鉄大和西大寺駅付近で銃を持った男に狙撃されて亡くなるという痛ましい事件が起きました。
大変衝撃的な出来事で、そのことに関連するニュースが連日報道されています。
安倍晋三元首相のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今回このような事件が起きたことの背景や、事件そのものの歴史的評価などに関しては、今後いろいろなことが少しずつ明らかになり、徐々に評価が定まっていくものと思われます。
今の時点で客観的に言えることは、首相経験者が殺害された事件は、戦前の「五・一五事件」や「二・二六事件」以来の出来事であるということです。
今日は、昭和の初めの時期に起きた「五・一五事件」と「二・二六事件」について触れておきたいと思います。
「五・一五事件」は、1932(昭和7)年5月15日に海軍の青年将校の一団が首相官邸を襲撃し、犬養毅首相をピストルで射殺した事件です。
この事件により、大正時代の終わりから続いていた「憲政の常道」と呼ばれる慣行は終わり、政党の総裁が内閣を組織するという政党内閣は戦後になるまで復活しませんでした。
「二・二六事件」は、1936(昭和11)年2月26日に一部の陸軍青年将校が約1,400名の兵を率いて首相官邸や警視庁などを襲撃し、高橋是清蔵相(元首相)や斎藤実内大臣(元首相)らを殺害した事件で、軍部内閣樹立を目指すクーデター事件としては失敗し鎮圧されたクーデター未遂事件です。
「二・二六事件」で岡田啓介内閣は倒れ、福岡県出身の外交官である広田弘毅が内閣を組織しますが、この広田内閣で「軍部大臣現役武官制」を復活させたことにより、内閣に対して軍が介入する端緒を作ることになったという、歴史上の非常に大きなターニングポイントとなりました。
今の日本の社会のあり方は、「五・一五事件」や「二・二六事件」が起きた昭和初期の日本の社会のあり方とは異なりますので、単純に比較して論じることはできませんが、それでも、首相経験者が銃撃され殺害されたという事件はこの時以来の出来事ですので、そのことが持つ重大性は、しっかりと認識しておく必要があるでしょう。