笹原駅前教室のメッセージ
『冒険の書』を読んで探究の旅に出かけよう(城南コベッツ笹原駅前教室:福岡市南区井尻)
2023.07.01
こんにちは、教室長の木村です。
起業家の孫泰蔵さんが「AI時代のアンラーニング」をテーマに書いた『冒険の書』を手にとって読む機会があり、熟読して非常に感銘を受けました。
この本は中学生・高校生のみなさんや保護者の方々にぜひ読んでいただきたい本ですが、本の「はじめに」の部分に「自分の考えを表現するのにちょうどいいところがあれば、いくらでも引用して使ってかまいません。僕の許可を得る必要はありません。」と書かれてありますので、さっそく一部引用して、内容を紹介したいと思います。
<引用開始>
「もし明日死ぬとして、一言だけ我が子に遺言を残すとしたら、どんな言葉を遺す?」
(中略)
僕はこの問いについて、実はもう何年も考え続けているのですが、少なくとも今のところ僕が答えにしているメッセージはこれです。
「世界は自ら変えられる」
こんなことを言うと、「ちょっとカッコつけすぎじゃない?」という声が聞こえてきそうです。しかし、ここにいたるまでにいろんな案を出し、じっくり考えてきた結果、この言葉がベストだと思っています。なぜか。
結局のところ、親が子に望むのは「幸せに生きてほしい」ということ、ただそれだけであり、親としてそれ以上望むことはなにもないはずです。つまり、この問いは「幸せとはなにか?」という問いだと思うのです。
幸せについては人の数だけいろいろな定義があるとは思いますが、すごくザックリ言うならば、「自分の人生をいきいきと生きること」と言って、大きくハズレてはいないと思います。誰であれ、自分の人生をいきいきと生きてくれれば、それは幸せな状態だといっていいと思うのです。
「自分の人生をいきいきと生きてほしい」、すなわち「自分の人生を自分の意志で生きるような、そんな子に育ってほしい」という願いは、「希望を持って未来を自ら切りひらいていける子になってほしい」と言いかえることができます。
では、そう思えるためになにが必要か。
そのためには、「未来に希望が持てること」と、「切りひらこうと思えば、実際に切りひらけること」という2つの条件が満たされなければなりません。つまり、「希望を持って未来を自分で切りひらいていく」という姿勢は、「世界は自ら変えられる」と思えなければ持ちえないということです。
<引用ここまで>
「世界は自ら変えられる」というとかなり大げさな感じがするかもしれませんが、人間には大なり小なり「自分の周りの世界を変えてしまう」力があることは事実で、そのことを敷衍していけば「世界は自ら変えられる」という考えを持つことも可能です。
あるいは、それはスケールが大きすぎると思ったとしても、中学3年生や高校3年生のみなさんは「自分の進路は自分の行動で変えられる」ことに、ある面で強いモチベーションを感じたり、あるいは大きな不安や強迫観念に駆られたりしているのではないかと思います。(もしくは、今は自分の進路のことについて深くは考えず、「もう少し後でじっくり考えよう」と思って、目の前の一日一日を過ごしているかもしれません。)
孫泰蔵さんは、今の学校の教育に対して「このままだと、なんかマズイんじゃないか?」と根源的な問いを発しています。
私自身は孫さんの立場に全面的に賛成というわけではありませんが、学校で学ぶにせよ、学校以外の場所で学ぶにせよ、中学生・高校生のみなさんには、「同じ時代を生きる人々や、後の世を生きる未来の人々のために、世界をより良いものに変えていく」というモチベーションを心の中に持てる存在になってほしいと願っています。
これから始まる夏期講習では、生徒のみなさんに英単語や公式などを教えていきますが、みなさんは単にそうした知識だけを学ぶのではなく、「『学び』は中学時代や高校時代だけのものではなく、自分自身のため、そして世界の人々のために、生涯にわたって続いていくのだ」ということを感じとってもらいたいと思っています。
ぜひ一緒に「探求の旅」に出かけましょう!
起業家の孫泰蔵さんが「AI時代のアンラーニング」をテーマに書いた『冒険の書』を手にとって読む機会があり、熟読して非常に感銘を受けました。
この本は中学生・高校生のみなさんや保護者の方々にぜひ読んでいただきたい本ですが、本の「はじめに」の部分に「自分の考えを表現するのにちょうどいいところがあれば、いくらでも引用して使ってかまいません。僕の許可を得る必要はありません。」と書かれてありますので、さっそく一部引用して、内容を紹介したいと思います。
<引用開始>
「もし明日死ぬとして、一言だけ我が子に遺言を残すとしたら、どんな言葉を遺す?」
(中略)
僕はこの問いについて、実はもう何年も考え続けているのですが、少なくとも今のところ僕が答えにしているメッセージはこれです。
「世界は自ら変えられる」
こんなことを言うと、「ちょっとカッコつけすぎじゃない?」という声が聞こえてきそうです。しかし、ここにいたるまでにいろんな案を出し、じっくり考えてきた結果、この言葉がベストだと思っています。なぜか。
結局のところ、親が子に望むのは「幸せに生きてほしい」ということ、ただそれだけであり、親としてそれ以上望むことはなにもないはずです。つまり、この問いは「幸せとはなにか?」という問いだと思うのです。
幸せについては人の数だけいろいろな定義があるとは思いますが、すごくザックリ言うならば、「自分の人生をいきいきと生きること」と言って、大きくハズレてはいないと思います。誰であれ、自分の人生をいきいきと生きてくれれば、それは幸せな状態だといっていいと思うのです。
「自分の人生をいきいきと生きてほしい」、すなわち「自分の人生を自分の意志で生きるような、そんな子に育ってほしい」という願いは、「希望を持って未来を自ら切りひらいていける子になってほしい」と言いかえることができます。
では、そう思えるためになにが必要か。
そのためには、「未来に希望が持てること」と、「切りひらこうと思えば、実際に切りひらけること」という2つの条件が満たされなければなりません。つまり、「希望を持って未来を自分で切りひらいていく」という姿勢は、「世界は自ら変えられる」と思えなければ持ちえないということです。
<引用ここまで>
「世界は自ら変えられる」というとかなり大げさな感じがするかもしれませんが、人間には大なり小なり「自分の周りの世界を変えてしまう」力があることは事実で、そのことを敷衍していけば「世界は自ら変えられる」という考えを持つことも可能です。
あるいは、それはスケールが大きすぎると思ったとしても、中学3年生や高校3年生のみなさんは「自分の進路は自分の行動で変えられる」ことに、ある面で強いモチベーションを感じたり、あるいは大きな不安や強迫観念に駆られたりしているのではないかと思います。(もしくは、今は自分の進路のことについて深くは考えず、「もう少し後でじっくり考えよう」と思って、目の前の一日一日を過ごしているかもしれません。)
孫泰蔵さんは、今の学校の教育に対して「このままだと、なんかマズイんじゃないか?」と根源的な問いを発しています。
私自身は孫さんの立場に全面的に賛成というわけではありませんが、学校で学ぶにせよ、学校以外の場所で学ぶにせよ、中学生・高校生のみなさんには、「同じ時代を生きる人々や、後の世を生きる未来の人々のために、世界をより良いものに変えていく」というモチベーションを心の中に持てる存在になってほしいと願っています。
これから始まる夏期講習では、生徒のみなさんに英単語や公式などを教えていきますが、みなさんは単にそうした知識だけを学ぶのではなく、「『学び』は中学時代や高校時代だけのものではなく、自分自身のため、そして世界の人々のために、生涯にわたって続いていくのだ」ということを感じとってもらいたいと思っています。
ぜひ一緒に「探求の旅」に出かけましょう!