城南コベッツ反町教室

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2021.12.29

こんにちは。城南コベッツ反町教室・東前です。

反町教室の年内の授業は今日で終わりとなります。明日30日から新年1月3日までお休みをいただき、1月4日から冬期講習を再開します。

今年最後のブログは、漢字で終わりたいと思います。今年は「丑年」なので、「丑」のつく四字熟語をご紹介します。といっても、「丑」のつくものはないので、「牛」のつく四字熟語です。

・鶏口牛後(けいこうぎゅうご)
「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ」という読み方で見かけることも多いですね。大きな組織の中の構成員であるよりも、小さくてもいいから組織のトップであるほうがいいということです。

・蚊虻走牛(ぶんぼうそうぎゅう)
蚊(か)と虻(あぶ)が牛を走らせるということです。つまり、力の小さいものが力の大きなものを倒すことのたとえになります。

・汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)
持っている書物がとても多いということを表しています。「汗牛」とは「車に載せれば車を引く牛が汗をかくほど重い」ということ、「充棟」とは「積み上げると家の棟木にまで届くくらいの量」ということを表しています。デジタルの時代にはなくなりそうな言葉ですが、私は本を読むのが好きなので、うらやましく思う言葉です。

・食牛之気(しょくぎゅうのき)
牛を丸呑みするほどに大きな心意気という意味があり、これから、心構えがこの上なく大きいことを表します。

・牛飲馬食(ぎゅういんばしょく)
牛が水を飲むように、馬が飼い葉を食べるように飲み食いするということから、必要以上に食べたり飲んだりすることを表します。同じ意味の四字熟語として「鯨飲馬食」があります。

今年の最後のブログということで、最後は年末年始に私が注意すべきことでした(笑)。

他の「漢字のはなし」はこちら→クリック

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2021.12.28

こんにちは。城南コベッツ反町教室・東前です。

新横浜駅から新大阪方面の新幹線にのって約2時間すると「まもなく京都に着きます」というアナウンスが流れます。そうすると、トンネルに入り、そのトンネルを出ると、進行方向右側にタワーが見えます。これが京都タワーです。58年前の今日、つまり1964年12月28日が開業日になります。

京都タワーの外見は東京タワーとは全く異なります。京都タワーはビルの上に建っています。10階建てのビルの上にタワーがあります。また、壁の白さから、海辺にある灯台のような感じに見えます。夜に観ると綺麗です。

タワーのみだと高さは100メートルなのですが、ビルの高さが31メートルあり、合わせると131メートルの高さになります。タワーなので、当然展望台があります。上の方の2つのフロアが展望台です。その下に、ラウンジがあります。夜景を観ながらお酒を飲めるようになっていますが、残念ながら現在は休業中です。

京都タワーができるまで、京都で一番高い建物は東寺の五重の塔でした。これにはわけがあります。

京都の景観を守るため、京都市には「東寺の塔よりも高いものは建てない」という不文律がありました。東寺の塔の高さは54.8メートルです。これが上限となっていたので、東寺の塔が一番高かったわけです。しかし、京都タワーはそれをはるかに上回ります。当然のごとく、建設すべきかどうかという論争が起こります。

建設賛成派は政財界が中心でした。一方、反対派は学者や文化人が中心でした。実はこの論争、都市の美観論争としては日本で初めてのこととされています。

最終的には「建築物ではなく工作物」ということで、建設されることになったそうです。

かなり前ですが、展望台に昇ったことがあります。その時、「全日本タワー協議会」というものがあって、日本のいろいろなタワーが加盟していることを知りました。現在、20のタワーが加盟しています。個人的には、同じようなものがまとめてある、こういう団体的なものに弱いです。どう弱いかというと、全部行きたくなります(笑)。四国のお遍路さんとか、西国三十三か所の巡礼とか...

ちなみに、「全日本タワー協議会」には、横浜のマリンタワーも加盟しています。まずはここからですね。

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2021.12.27

こんにちは。城南コベッツ反町教室・東前です。

今日12月27日は「寅の日」です。

えっ?「寅年」の間違いでは?あ、でも、今年は「丑年」だ...

と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、間違いなく「寅の日」です。十二支の日というものがあります。十二支だけに12日ごとにやってきます。ひとつ前の寅の日は12月15日、その前が12月3日、次の寅の日は来年の1月8日、その次は1月20日になります。

古来中国では虎の毛皮は金色をしていることから、金運を高める象徴として考えられていました。また、邪気などを追い払う神聖な動物でした。

そのため、寅の日は金運を招く「金運招来日」とされています。縁起がよい日ということですね。

金運がいい日ですから、お金関係のことがいい日です。例えば、宝くじを買うのにいい日ですね。ギャンブルがいやという方には、財布を新しく買ったり、新しく使い始めたりするのにいい日です。

また、寅は「千里を行って千里戻る」という言い伝えがあり、無事に戻ってこれることから旅行によい日になります。年末の帰省にはちょっと早いですが、12日ごとにありますので、旅行に行く時にちょっと気にしてみてもいいかもしれません。

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2021.12.25

こんにちは。城南コベッツ反町教室・東前です。

今日12月25日はクリスマスですね。教室の生徒さんに聞いてみましたが、みんなサンタさんが来てくれたそうです。私には...残念ながら...(笑)。

今日は日本のクリスマスの歴史についてです。

日本にクリスマスが伝わったのは、16世紀ごろだそうです。「16世紀」と「キリスト教」といえば、そうです、「フランシスコ・ザビエル」です。イエズス会の宣教師たちが日本に持ち込みました。

しかし、ザビエルが日本に来たおよそ60年後、日本は「キリスト教禁止」になります。そのため、クリスマスは日本が開国するまで、歴史には出てきません。

クリスマスツリーが日本に最初に飾られたのは、1886年(明治19年)12月7日です。横浜の明治屋でクリスマスツリーが飾られました。これが日本で最初のクリスマスツリーと言われており、これを記念して12月7日は「クリスマスツリーの日」となっています。

そして、1904年(明治37年)に明治屋が、銀座のお店の店頭にクリスマスツリーを飾りました。それがきっかけで日本にクリスマスが広まっていきました。また、1911年(明治43年)には不二家がクリスマスケーキの販売を始めています。

大正時代にはデパートやホテルでクリスマスの装飾がされたりして、だんだんとクリスマスが日本に浸透していきます。

しかし、再び、クリスマスは禁じられます。第二次世界大戦です。

戦争が終わった直後、日本はクリスマスどころではなかったですね。一般の家庭でクリスマスが楽しまれるようになったのは1950年頃からだそうです。

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2021.12.24

こんにちは。城南コベッツ反町教室・東前です。

以前、ピタゴラスについて書きました(こちらをクリック)。ピタゴラスといえば「ピタゴラスの定理」ともいわれる「三平方の定理」ですが、実はこの定理はピタゴラスより1000年も前から活用されていました。

誰が活用していたかというと「バビロニア人」です。バビロニアはイラクの南部当たりの地域をさします。その地域の紀元前2004年から紀元前1595年を「古バビロニア時代」といいます。古バビロニア時代の粘土板に、直角三角形が描かれています。

この直角三角形の辺の比が「5:12:13」と「8:15:17」でした。どちらも三平方の定理を満たす数字の組です。

また別の粘土板には「65:72:97」や「119:120:169」、数字が大きいものでは「12709:13500:18541」が記されていました。

なぜこのような数が必要であったかというと、古バビロニアでは既に土地の所有と売買が行われていたそうです。土地の売買には正確な測量が必要ですので、直角三角形がその助けになっていたようです。同じ時期、日本は縄文時代でしたので、ずいぶんと進んでいますね。

ちなみに、古バビロニアは60進数を使っていました。つまり、1~59までの文字があるということですね。当然、文字には規則性があるのですが、10進数に慣れた私には計算の複雑さに耐えられないかもしれません(笑)。

他にも、代数学では、1次方程式や2次方程式、連立方程式を解けるようになっていたそうです。

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